明治4年に宮城県涌谷領からやってきた
21戸76人の農民からはじまりました

屯田兵

明治11年には屯田兵10戸56人が移住し、同年、明治政府による開拓使府令が布達され、江別村が誕生しました。
その後、各地から屯田兵が入地し、計画的な開拓が進められてきました。
大正5年には江別町に昇格し、昭和29年には市制が施行され江別市が誕生しました。
昭和30年代後期から40年代にかけて、札幌市への人口集中の影響を受け、隣接する江別でも人口が急増しました。
また、文京台地区の大学、その他教育・研究施設の立地、第一工業団地の整備などにより、道央圏の中核都市として発展しました。

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